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テンヤマ [思い出]

今回で、最終回の昭和シリーズです。

「テンヤマに登る」と聞いても、僕と同世代の倉敷東小学校生ぐらいしか知らないと思うけど、倉敷天満屋の屋上ゲームセンターに行く事なのです。

僕の通っていた倉敷東小学校は、今や寂れて悲しい倉敷センター街近くに位置してて、同級生の何割かは、商店街の子供達がいました。
なので、そいつらと遊ぶとなると、当然のごとく、デパートで鬼ごっこしたりとか、試食コーナーでいろいろ食べ歩くとか、屋上のゲームコーナーで遊ぶとかなんだけど、僕ら悪ガキ達は、そんなに裕福な家庭の子じゃないから、どうやって遊ぶ金を作ったか・・・。

もう時効と言うことで告白すると、近所の中学生をカツアゲしてたのでした・・・(汗
その当時としては、珍しい塾に通っている奴らを見つけては、喧嘩ふっかけて、みたいな事してたなぁ。
まぁ、万引きこそしなかったけど、工事現場から、いろんな物盗んできたり、ポロ屋から、スピーカーの磁石盗んで捕まってみたりと、悪さばっかりしてたからなぁ。

そのくせ、自分は、近所に住んでいたマドンナ的存在の女の子がいて、一緒にいたいもんだから、親に頼み込んでピアノ教室に行ってたのです。
ちなみに、家には、ピアノが無かったから、小学校の体育館にあったはず(記憶が定かではないが・・・)のピアノで練習してたのでした。
やはり、好きな子の前ではええカッコしたかったのですが、母譲りの音感が幸いしたのか、なんか才能があったみたいで、その後の僕の人生を左右する原動力になっていったのでした。

まぁ、親が将来を心配したのと、信じれないかもしれませんが、こんな悪ガキのくせして、妙に勉強が出来たので、私立の中学に行かしてもらえる事(ちゃんと、入試に合格したのです)となり、ツレ達とは、離ればなれになってしまったのです。
ツレ達は、きちんと、その道のエリートコースを歩んでますが・・・(笑
でも、同じ街に住んでいたので、勉強するはずで行った私立の学校でしたが、結局、高校の頃には、みんなでバイクで遊んでました・・・(爆


森の探検隊 [思い出]

シリーズでお送りしている昭和の思い出ですが、今回のテーマは、森です。

浅原エリアの山には、よく遊びに行っていました。
今となっては、高級昆虫のクワガタムシとかを捕りに行ったりと、山の中へはしょっちゅう入っていたおかげで、地元の爺さんと仲良くなり、はみ(マムシです)の見極め方と、遭遇したときの対応とか、食べれる草や木の実、キノコ類、虫!まで教えてもらって、ツレ達と探検をしてましたね。

ある日、スズメバチの巣を発見した僕らは、ロケット花火をたくさん用意して、無謀にも、その巣に向かって攻撃を企てました。
当然、逆襲されたわけで、全員、全速力での退却もむなしく、ボコボコにさされてしまい、ツレの一人は、スズメバチにアレルギーだったのか、真っ青な顔になって、倒れた記憶があります。
まあ、子供ながらに必死だったのか、倒れたツレを残りの2人で、引きずりながら、山の近所のうちまで行って、助けてもらいました。
昭和のあの当時は、いきなりやって来た見知らぬガキでも、病院まで連れて行ってくれる人情があったんですよね。

まぁ、柿を見つけて、こっそり盗んで食べたら、渋柿で、オェーってなったり、ヨウシュヤマゴボウを美味しそうだから食べたら、食中毒みたいになったり、そこら辺に生えてる草を食べてたりしたから、蟯虫検査では100%生息していたというガキでしたが・・・。

今は、山陽自動車道が通ったりして、昔の面影なんてほとんど無くなったけど、ガキにしてみれば、良い遊び場だったな。


池と言えば・・・。 [思い出]

昭和49年頃は、まだ、池や川や用水での遊泳禁止があまり言われていなかったので、夏になると、自転車で30分以内ぐらいの池や川でよく遊んでいました。
倉敷は、海までが遠かったので、ガキ達だけで海に行くのは、1日ツアーになってたから、手軽さで、池とか、酒津の水門とかで遊んでたな。

まず、最近は、ブラックバス等のおかげで生態系が変わってしまったのと汚染で見なくなったけど、淡水のエビとか蟹とかを釣ったり、素手で捕まえたりしてましたね。
エビは、友釣りみたいなことをしていた気がする。
それから、あの強烈な顔のライギョは、ガキにしてみれば、かなりの大物だったので、みんなで競って取ってたな。
確か、ひっかけって呼んでた三またの釣り針で、強引に釣っていたんじゃないかなぁ。
また、ハヤとか、フナとか釣って帰ったら、おばあちゃんがフナ飯作ってくれたんだよね。
当時は、用水で釣った物を食べれた時代なんだなぁ。

また、当然、池で泳いだりしてて、海パン脱がしみたいな、水中内での戦いなんかしてて、ただ、池って、水面から少し潜ると、急に水温が下がってたから、僕のツレの一人が引きつけ起こして沈みかけていたのを僕が水中から襲ったおかげで、僕につかまってきて、危うく僕もおぼれかけたのだが、ガキなもので、相手が悪ふざけしているものと思い、殴る蹴るをしてたら、そのツレも少し復活してきて、岸まで、たどり着けたのでした。
僕は、岸に上がってツレにヤバかったんよと、お礼を言われるまでは、面白くてゲラゲラ笑っていたんだけど、少し怖くなって、当分は、池に行かなくなった気がします。
当時は、カッパ伝説があったもので、二人ともカッパにやられなかって良かったなと、他のツレに言われてた気がするな。
まぁ、それ以来、命の恩人として、なんかある度に、そいつに助けてもらってるんだけど・・・(笑

そんなこんなあって、夏休み明けとかの全校集会では、水の事故による何人かの訃報があった気がする。

まぁ、冬に氷の張った池の上をツレ達と歩いてて、氷が割れて全員、池に落ちて、みんなで大風邪ひいたのも、懐かしい思い出かな。

最近、スカパーでキャシャーンを見ているのだが、1974年頃に放送されていたので、僕もガキながら好きで、キャシャーンごっこをしていた気がするんだけど、大人になってみたら、タツノコプロのメッセージを凄く感じるんですよ。


せっかくだから・・・。 [思い出]

最近の昭和の日記にちなんで、家にあった昭和の写真をいくつか・・・。


似てないの批評はなしに・・・(爆



写真
昭和41年頃の僕らしい。
何が凄いって、カラー写真ですよ。
初孫の特権か・・・(笑



写真
僕の記憶では、このクマは、小学生の頃まであったような気がする。

おばあちゃんの話だと、この写真の乳母車で、倉敷駅横の踏切にて、伯備線のSL(この当時は、現役で走ってたんよ)を見ると喜んでいたそうな。

そして、クマのぬいぐるみがないと泣いていたそうな・・・(汗



写真
多分、玄関のかたちからして、昭和43年頃だと思う。
既に、バイクがお気にだったらしい・・・。



写真
小学校の頃は、シャツのはみ出し方と言い、その当時の悪ガキだよな。

この頃は、弟と、スゲー仲が良かったと母が言っておりましたが・・・(汗



写真
悪ガキの高校生の頃の宴会模様。
多分、背景からして鶴形山の花見か・・・。
やっぱ、痩せてたなぁ。


線路で遊ぼう [思い出]

なぜか、好評につき、昭和の思い出、第2弾です。

線路と電車は、当時の子供にとっては、なくてはならないアイテムでした。

まず、5円玉を線路に置いて、電車につぶしてもらうって、ガキの僕らは、その変造コインを宝にしてました。
たかが、5円とは言え、当時は、コーラ飴1ケ買えましたから、ガキにとっては、何個か持ってたら、一財産だったんですね。

で、もう一つは、線路に耳付けて、電車の音を聞くという、度胸試しであり、あのコトカタという音を聞く事が妙に楽しかったのでした。

しかし、ある日、そんな遊びをしてたら、ツレの一人が、聞いてた線路の逆さ側に来た貨物に気付かず、僕らの目の前でバラバラになったんです。
さすがの悪ガキどもも、みんな泣いて怖がったように記憶していますが、そのおかげで死体が平気になって、大人になって葬儀関係の仕事が苦にならなかったのは、不幸中の幸い?ですかね。

で、今でも、あの踏切を見る度に、その時の悪ガキのツレは、トラウマになってます。

後は、定番の置き石だけど、脱線は、させれなかったから、根性が足りなかったのかと、思ってみたり。

とは言うものの、今なら、社会問題でしょうね…(笑)


次回は、池の思い出です。


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